2017年09月15日

人の死について

人間は殆どの人が、「死」については忌まわしいこと、恐ろしいことと思っています。
確かに仲の良かった身内や友人などが死ねば、悲しみが訪れます。もちろん、殺害されたり事故にあったりして死亡すれば、残された人の悲しみはとてつもないことになります。
しかし、霊的な真理を知れば、「死」は決して忌まわしいことではなく、むしろ喜ばしいことであることが解ります。もし、自分が不治の病にかかったとしても、死に対してはかえって喜ばしいことでもあるのです。もちろん自殺はだめです。自殺は自分の勉強のための人生を途中で放棄してしまうからです。自殺した人は良い場所には行けません。

人は肉体をまとっている時が一番つらいときなのです。物理的な肉体をまとっている場所が一番の最下層です。ここで色々なことを勉強するために生きているといってよいでしょう。肉体の死によって魂は自由になれるのです。そして肉体をまとっている場所では良い人、悪い人、好感の持てる人、嫌な人・・・いろいろな人と接触しなければなりませんが、肉体を離れれば自分と同じレベルの人のいる場所に行くことができます。ここでは争いごとなどありません。

ただ、人間として悪いことをしたり、人に対して悪いことをした人や殺人を犯した人たちは死んでもそういう人ばかりがいる最下層の世界に行くことになります。ただ、こういう人たちも救いの道はあるようです。霊界の上の人たちが導いてくれるからです。だから、というわけではありませんが、人は利他的なことをした人ほど上の世界に行けるということです。

これは本当の事です。こんなこと信用しない人も多いと思いますが、真実なことなのです。もちろん私もこんなことは信用していませんでした。でも、ある時期からこのようなことを教授されている方々のサイトや本を読み真実であるということがわかりました。肉体の死により自分が死んでも意識があるので、唯物的な科学者の方などは自分が死んだことがわからない人もたくさんいるようです。皆さんも「肉体の死」ということ決して忌まわしいことではない、喜ばしいことなんだ・・・と思えるようになれば人間としてもっと楽に生きられるかなと思います。

op23F-6.JPG

ラベル:人間の死
posted by Aregro at 11:30| Comment(0) | 精神世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月18日

お墓って大切ですか・・・

お墓って、身内が死んだ場合に必ずそこに埋葬するのが今の人たちの現在の基本的な考えですよね。高齢の人でもこれから死ぬような人たちも、「無縁墓などに埋葬されるのは嫌だ」などと思っている方が多いです。

お墓ってそんなに大事なものなんでしょうか?お墓には通常死んだ人の骨が埋葬されますが、肉体が死ぬと人間の肉体は単なる死骸です。人間の魂は肉体が滅べば別次元な世界へと行きます。このことがわかっている人は少ないのではないでしょうか。だからお墓の前で手を合わせて祈る人が多いですよね。新しくお墓を作るためには、お寺さんや仏教関係の会社やお墓を作る会社などに頼まなくてはなりません。これには結構なお金もかかります。お寺さんやこういう会社のお金儲けの手段でもあります。

以前も書きましたが、「千の風になって」という歌詞の一部に「私のお墓の前で泣かないでください そこに私はいません 眠ってなんかいません」まさにそのとおりです。インドでは死んだ人の骨は川に流してしまいます。これは死んだ人の魂が別な世界へ行くという認識があるからだと思います。

皆さんも人間が死んだらどこへ行くのか・・・・・ということを考えてみませんか・・・・・

ne.170-22.jpg
ラベル:お墓
posted by Aregro at 18:05| Comment(0) | 精神世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月14日

人の人生は一度きり・・・?

毎度毎度同じようなことを書いていますが、あまりに人の人生は一度だけ、と思っている人がまだまだすごく多いからです。唯物論的なことが真実と思い現世の利益にしがみついて「死」に対して恐怖を抱き、少しでも長生きがしたい、アンチエージングを試みて歳よりも若くありたい・・・こんなことを思っている人がまだまだすごく多いです。

しかも、今生での自分の生活、環境、人としても能力など優れている人はこのまま長生きがしたい、また、逆の人も自分の能力や容姿などが劣っていることに対してひどい劣等感も持ったりします。これもいつも言っていることですが、人生一度きりだから・・・・つらい思いをする人の中には自殺してしまう人もいます。確かにAさんという肉体をまとった人の人生は一度きりです。でも、Aさんの魂(本質)は永遠に死ぬことはありません。今生でつらいことがあってもそれもその人の勉強なのです。だから途中で自殺などすると自分に与えられた試練を放棄してしまうので、あの世へ行っても楽になることはありません。

また死んでも自分の意識があるので、死んでないのではないかと思い、自殺を繰り返す人もいるようです。以前はこういうことをいう人はなぜか胡散臭い目で見られていましたが、最近では理系の優秀な方々もこのような真実を実感されて色々な書籍に書かれている人もたくさん増えてきました。もちろん誰とは言いませんが、偽者もいます。マスコミなどにちやほやされてお金を稼ぐためにスピリチュアル的なことをやっている人も多くいます。占い師などは最低ですね。いつも言っていますが、占いなど信じてはダメですよ。遊びとして向き合うのならいいですけどね。

最近日本でも色々な方が、人間は肉体が滅んでも本質(魂)は死なないということを真実として捉えられている方が増えました。ちょっと列挙してみますね。興味のある方はぜひこの方達の書かれた本を読んでみてください。もちろん「人間は死んだらお終いだよ」と頑なに思っている方はスル〜してくださいね。

☆矢作直樹さん

ご自身医師であり、東大病院に勤務されて、東大の教授もされていましたが、最近東大病院、東大教授を退官されましたね。「人は死なない」という最初の著作から多くの本を出されています。大変読みやすく書かれているのでおすすめの書籍が多いです。

☆池田晶子さん

少し前にお亡くなりになられてしまった方ですが、哲学者(ご自身は哲学家とおっしゃられていました。)で、いろいろなことも書かれていますが、人には魂があるということを当たり前のように思っていた方で「魂を考える」という本がお薦めです。ただ、今絶版になっているようなので、最近出版社が新しく編集した「魂とは」という本も出ているのでこちらを読まれると良いと思います。

☆坂本政道さん

この方はバリバリの理数科系の人で東大の理学部の物理学科を出られて、カナダの大学でも理系の修士課程を卒業された方ですが、あるきっかけから自身が臨死体験的なことを経験されてその道に進まれた方です。「ヘミシンク」という臨死体験を経験できる組織を運営されています。著作もいろいろありますが、最近ではかなり深入りした本も出されているので、先にご紹介した矢作先生との対談形式の「死ぬことが怖くなくなるたったひとつの方法」という本がお薦めです。

☆山川紘矢さん

この方はかなり以前からスピリチュアル系の海外の本の翻訳をたくさんされていた方です。東大の文T卒でエリートキャリア官僚だったのに、あえてこの世界の本質を広めるために、海外の精神世界の本の翻訳という仕事に就かれた人です。ご自身でも書かれた本があり「人生を変える極上の教え」という本がお薦めです。この本は人が生きるうえで、人生が良い方向に向く生き方の指南とも言えることが書かれている本ですが、基本はやはり人は死なない、人の本質は魂であるという前提のうえでの内容です。とても良い本だと思います。

ちょっとここで山川さんの本に書かれていたことの抜粋を載せてみます。抜粋ですが、このタイトルの文はここで完結しています。まさにこのとおりだと思います。

●「死が人生の終わりではありません」

人間になった僕達は、生まれて死んで、また、生まれて、ということを繰り返して、今までずっと生きてきました。
 今生きている私たちも、やがて確実に死にます。
 でも、肉体は消滅しても、死の向こう側にも世界があるとわかれば、安心します。そして、また必要であれば、再び、三たび、何回でも、こちら側の世界に生まれてくるのです。僕達はいつもこの宇宙で旅を続けているのです。今は旅の途中だと思えるようになりました。  
 死などというものはなく、私達は永遠の存在と考えると、あなたはどんな気持ちがしますか?
 もう生きることなんて沢山、と思わないでください。


☆村上和雄さん

この方は現在も筑波大学の名誉教授で、1983年に酵素「レニン」の遺伝子解読に成功、世界的注目を集められた方ですが、河合隼雄さんとの出会いで、人間には魂というともがあるということを認識された方です。この方の本も矢作先生との共著である「神(サムシンググレート)と見えない世界」と言う本がお薦めです。

海外の方も多くの方が、人間の本質について書かれていますが、エリザベス・キューブラー=ロス、レイモンド・A・ムーディJr.、ジョエル・L・ホイットン.....など多くの方の本もありますが、まずは日本人で最近書かれた本のほうがわかりやすいかなとも思います。興味を持たれた方も、そんなこと本当にあるのか?・・・と、疑問を持たれた方も上記に紹介した方の著作をぜひ読まれてください。人間の本質が解れば死というものも怖くなくなり、つらいことも今生の勉強だと思えるようになり、生きることにポジティブになることができると思います。

今日は長文を書いてしまいましたが、最後まで読んでくれた方には感謝いたします。ありがとうございました。

op.75-E-3.jpg
ラベル:
posted by Aregro at 15:26| Comment(0) | 精神世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月13日

人生の目的とは

ラムサ・・・という高次の魂が、地球上の普通の女性を介して、話したことをまとめた【ラムサ・・・真・聖なる予言】という本の中の人生の目的とはという箇所に書いてあったことです。とても素晴らしことが書かれていますが、そのまま抜粋しておきます。皆さんはどう思いますか・・・・

以下・・・・・抜粋

自分のあるがままを愛する時、不可能なこと、手の届かないことは何もなくなる。自分を本当に愛するとき、人は笑いの光の中だけに生き、喜びの道だけを歩むようになる。自分に恋するとき、その光、そのまとまった力、幸福、底抜けの明るさ、その楽しそうな状態が全人類へと拡がっていくのだ。そしてあなたの驚くべき存在の内面に愛があふれるとき、いろいろ不快なことがあるこの世界が美しくなり、生きることは意味を持ち、よろこびにあふれた状態になり、そのよろこびは、あなたという存在のよろこびを通じて、すべての生命を高揚させ、その栄光をたたえ、あなたの存在が純粋であることを謳いあげるのである。
 自己への愛のため、自己を満たすために生きること以上に偉大な人生の目的はない。それを成し遂げるためには、人生に飛び込み、自分に幸せをもたらすことをすることだ。それによってのみ可能になる。たとえそれが何であってもである。それは間違っているとか、あなたのために良くない・・・などと誰が言えるのか?神はそんなことは絶対に言わない。神はあなたが向かっていくあらゆる方向そのものであり、あなたのすべての体験がもたらす結果でもあるからだ。他の人間にど思うか訊ねたりもしてはならない。あなたの人生を悩ませてきたのと同じ制限をもっているというのに、他人がよろこびについて何を知っているというのだ。
 父なる存在は、あなたがよろこびあふれる人間になるよう迫っているようなものだ。あなたが心を開いてそれを受け容れるのを、いつもそばで待っている。「求めよ、さらば与えられん」というのは、そういう意味なのである。いつの時にもよろこびを持つというのは、実は単純なことなのだ。あなたはそれに値することを知って欲しい。
 よろこびはよろこびを生む。「迫られている」よろこびを受け容れるとき、それはこれから訪れるあなたの将来の日々のよろこびをさらに高め、あなたの心を開いてもっと多くを受け容れられるようにしてくれる。だからこそ、いつの時も自分を愛することが絶対に必要なことなのだ。それができれば、これから先の自分の「ペース」が決まるのである。何が自分を幸せにするかを自分に訊ね、それが何であっても、自分のフィーリングが告げるままに実行することだ。自己への愛、そしてそのよろこびのために生きるとき、その陶酔と高揚の瞬間はすべてあなたの存在の魂に記録される。そして今度は、それがこれから先、さらに多くの幸福とよろこびの瞬間をつくり出していくのである。

・・・・・以上、抜粋
IMG_0241sd.jpg

引用図書
【ラムサ---真・聖なる予言】
著者:ラムサ
訳者:川瀬 勝
発行者:角川春樹
発行所:株式会社 角川春樹事務所


posted by Aregro at 19:03| Comment(0) | 精神世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月14日

生と生のはざま

生と生のはざま・・・生と死のはざま、という言葉は聞いたことがあるかもしれませんが、ちょっと聞きなれない言葉かなと思います。「なまとなまのはざま」とは読まないでくださいねわーい(嬉しい顔)と冗談はさておき、これは現在生きているこの物質世界から肉体が死んで、また、またこの不自由な肉体へ転生するまでの間、いわゆるあの世のことなのです。「輪廻転生なんかありえない、人生1回きり、死んだら無だよ」と、こう思っている人はこれから先書くことは読まないでください。

いつも言っていますが、こういう話をするとすぐ宗教だ、新興宗教だ、という人がいますが、宗教ではありません。宗教は人が作ったものです。また宗教は自分たちの主義主張に反するものは排斥しようとします。宗教戦争がなくならないのもそのためです。これも人間が勝手に自分たちの都合の良いようにアバター達の教えを歪曲してしまったからなのです。キリスト教にしてもしかりです。まずいろいろな流派があると言う事が不自然ですよね。イエスは神ではなく、もちろん非常に進化した魂であったことは間違いありませんが、イエス・キリストを全能の神の子に仕立て上げ、都合の良い部分だけ自分たちの教義にしてしまったのも人間です。

 ちょっと前置きが長くなりましたが、このイエスも人間が死ぬとまたこの世に転生しなければならないと言っていました。但し、これもイエスの死後歪曲されて、キリスト教では死んだら天国か地獄へ行くしか選択の道はないとなりました。そうではないのです。肉体が死ぬと魂は中間生(バルド)というアナザーワールドへ行きここで次の転生への準備をします。もちろん、ここは休息の場所でもあります。ただ、ここでは前回の生で果たせなかったことや、自分を成長させるために今度はどんな境遇に生まれるかなど、指導者ともいえる進んだ人達(霊)からアドバイスをを受けます。ただ、強制はされないようで、最後はやはり自分で決めます。この辺のことは医学博士で哲学博士でもある「ジョエル・L・ホイットン」という人の研究を紹介した本に詳しく書かれています。但し、進化の初期の魂は中間生でも眠ったような状態ですぐに未進化な肉体に転生してしまうようです。しかし、少しでも自分の人生について疑問や迷いを感じた人はなんらかの課題を持ってこの世に生まれてきているのだと思います。

私達のおかれた境遇は決して偶然のなせるわざによって決められたことではないのです。私たちはこの中間生で選択したことを体現しているわけで、今置かれている境遇は誰のせいでもないのです。自らの魂の向上のために自ら選んだ生(ストーリー)なわけなので、そこから何かを学びとらなければならないと思うのです。自殺という行為はこの宿題を放棄してしまうことですから、肉体が滅んでももっとつらい思いをしなければならなくなります。自ら選んだ生なのですから、受け入れて寿命がつきるまで、ポジティブに生きてゆくのが大切だと思います。与えられた寿命をまっとうすれば、再び光り輝くアナザーワールドへ帰ることができます。死は少しも怖いことではないのです。また、今生でも一人きりになったとしても、目には見えないかも知れませんが、見守ってくれている人たち(肉体は無いので普通の人には見えませんが)がたくさんいます。決して一人きりではないということを思い出してください。死は忌まわしいこと・・・と思われていますが、自殺以外の死はむしろ喜ぶべきことなのではないかと思います。

PH02003.jpg
posted by Aregro at 22:38| Comment(0) | 精神世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月23日

人生で起きる事

人生で起きる事、楽しいこともあれば、つらい事、悲しいこと、腹が立つこと、人間のあらゆる感情を体験させるがごとく、色々なことが起こります。

でも、これって「すべては良きことのために起こっている」ことなんです。・・・とおっしゃっているのは山川紘也さんという人。この人世間一般から見たらどう見たって超エリート。東大法学部在学中に司法試験に合格し、国家公務員上級試験に合格し、キャリア官僚に・・・でも、あるきっかけから精神世界のことや人間の魂のことやそんなことに目覚めてしまいます。それで、今までのキャリアを捨ててまでそういうことにのめり込んでゆきます。今はそういう類の本の翻訳と言う仕事をされていますが、そういうことを始めた頃は周りの友人、知人からはかなり嘲笑と罵倒の集中砲火を浴びたようです。

この山川さん曰く、魂だの、あの世だの、輪廻転生などというとすぐに「宗教」と思う人がほとんどだとおっしゃっていましたが、こういうことは宗教とはまったくの別物です。私も思っていますが、宗教とは偏狭です。宗教ではないのです。スピリチュアルというのが的を得ているのですが、いかんせんこの言葉を使ってマスコミなどに出ている偽者もいますからね・・・この辺は本当に難しい。

心理学ではなく「真理学」とでも言えば良いのかも知れませんが、もちろん学問ではありません。実践です。

人生で起きる事は「すべて良きことのために起こっている」「こう思うようになってから、どんどん良い方向に向かうようになった」と山川さんはおっしゃっています。どんなことも魂を成長させるための体験・・・最近管理人の私もそう思うようになりました。

人生で起きる事、あまり深刻にならずに受け入れましょう。人生は1回ではないのです。もちろん、Aさんという肉体をお借りしての人生は1回ですが、本質は永遠です。山川さんも、以前から紹介している「矢作直樹」さんも同じ事をおっしゃっています。

・・・人は死なない。

ちょっと話が転回してしまいますが、楽しくお気楽というのはけっして悪いことではないのです。人間深刻になったからといって、問題は解決しません。深刻と真剣は違います。もっとリラックスして生きてゆくのが人生のコツだと思います。ストレスをためて悩んでしまうと見えるものも見えなくなってしまいます。リラックスして楽しんで、真剣に・・・ちょっと矛盾しているようですが、人は死なないということが直感で理解できるようになれば、これもそう難しいことではないような気がします。




ラベル:生き方 人生
posted by Aregro at 00:12| Comment(0) | 精神世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月21日

子供は親を選べないって・・・本当ですか?

よく、子供は親を選べないからね・・・ということを言う人がいます。
また、世間の大半の人はこう思っているようです。でも本当でしょうか?

管理人は逆だと思っています。「親は子供を選べない」

ええ〜〜!と思うかもしれませんが、確かに物理的には父親の精子と母親の卵子が
結びついて人間の個体が発生します。でも、ここにはまだ真の意味でのスピリットが
ありません。この母親の母体に発生したばかりの頃にこの肉体に魂が宿るのです。

この魂はどこからくるのでしょうか?いわゆるあの世、アナザーワールドからです。
このことを転生といいます。肉体が死んでその肉体から抜け出た魂は永遠に消滅する
ことはありません。自分の魂が成長するためにまた新たな肉体に宿りこの不自由な
思いどおりにならない重い肉体をまとい地上での生活を始めるのです。

この地上は魂の修行の場なのです。じゃ、なんでほんのわずかしか生きないで
死んでしまう子や、それこそ虐待親のようなところに生まれてくる子もいるのか
と思いますよね。確かにそう思うのは当たり前だと思います。でもこれも意味が
あるのです。虐待親は実は自分とかかわりのあった魂の人間で、その魂をめざめさせて
あげるために、あえてそういう親のもとに行ったり・・・あるいは自分の人生の
子供のうちだけやり直すためにちょっとだけ地上世界にもどったり・・・
理由はいろいろです。

子育て支援サイトのようなサイトに次のような断定的な
ことが書いてありました。

子供は親を選べないんです。
その事実をもう一度思い出してください。


本当にそれは事実なのですか?何を根拠にそうおっしゃっているので
しょうか?と、思わず言いたくなってしまいます。こういうところでこのような
事が書いてあると、たいていの人はそう思ってしまいます。でも、本当のところは
違うのです。

こういうと「なんでそんなことがわかるんだよ、あんた経験したわけじゃないだろ」
そうですね、ただ私には若干の奥深いところにそんな記憶がおぼろげながらあります。

また、最近現役の産婦人科の医師、池川明さんという人が
「子どもは親を選んで生まれてくる」(日本教文社刊)という本も出しています。

また、この著書を読んだ僧侶の方がブログでやはりこのことについて詳しく書いて
います。http://urx.nu/6kGx

興味のある方は読んでみてください。なぜ、子は親を選んでうまれてくるのかという
ことが分かりやすく解説されています。だからどんな親の元に生まれてこようが
自分で選択して生まれてきたのですから、親の事を恨んだりしてはダメなのです。
そこから何かを学び取る、あなたの魂の修行だと思って頑張ってください。
ラベル:子供 人間の出生
posted by Aregro at 15:42| Comment(0) | 精神世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月09日

またまたすばらしい人を発見

ネットを見ていて、またまた素晴らしい人を発見してしまいました。
alfar901さんという(ハンドルネームしかわかりませんが)方です。

この方は管理人のように頭で理解して、知識として理解しているのと違い、この世界のことやアナザーワールドのことを、身を持って体験されたことをベースに色々書かれています。

ヤフー知恵袋の知恵ノートに多数のノートを書いていますが、閲覧者の数も半端ではありません。ヤフー知恵袋なんていうとほとんど信用できないと思っている人もいるかと思いますが、管理人も実はあのサイトは参考までに見るサイトと思っています。

でもこの方の書かれていることは、なるほどと管理人が頭で理解していることに明解な裏づけというか、体験を基にした答えが書かれています。興味のある方はぜひご覧になってみてください。管理人がアドバイスでお知らせした矢作直樹先生の情報も今日見たら、記事の中に補足して更新してありました。

また、アナザーワールドのことだけではなく、実生活でのこともアナザーワールドとのつながりや、この地上世界の生き方の指針なども書かれていますので、この方の書かれていることを読んで、実践して、救われている人も多いのではないかと思います。

この方ニューヨーク在住の日本人なのですが、ブログも書いていますのでそちらのアドレスもお知らせしておきます。

alfar901さんのヤフー知恵ノート
http://my.chiebukuro.yahoo.co.jp/my/myspace_note.php?writer=alfar901

alfar901さんのブログ
http://ameblo.jp/alfarblog

ひとつだけ、内容のことではないんですが、この方の書いてあるテキストが色文字を使われているのでちょっと読みにくいです。なので、管理人は全部コピペして自分が使っているテキストエディタに貼り付けて、黒色にして読んでいます。
ラベル:生き方 精神世界
posted by Aregro at 18:57| Comment(0) | 精神世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月16日

死んだら無だよ

死んだら無だよ・・・・・

管理人の身近な人にもこう思っている人が多いので、ちょっと愕然としています。

死んだら意識なく寝ている状態と同じだと思っているようです。
もちろん、死に対する思いは人それぞれ違ってもしょうがないことではあるとは
思うんですが、それは違うと言っても「でも、〇〇さん実際に死んだことがあるわけ
ではないでしょう」という反論が必ずと言ってよいほど返ってきます。

では、人生一度きりこの肉体が死滅したらすべてが無になって今この自分という
意識をしていることは永遠にないとすれば、この人生何しても良いことに
なりはしないかということです。極悪非道のことをしたって、自分が死んでしまえば
それで終わり、もう自分というものは永遠になくなるわけなので、何の弊害も
ないですよね。(極悪非道に遭った人々は大変な思いをするわけですが)

なぜ、人は良心があるのか?一度きりの人生だったら何をしても良いわけなのに
そこまで勝手なことをしないのは、なぜでしょうか?自分の行為が必ず何らかの形で
自分で責任を負わなければならないということを、たいていの人はどこかに
刷り込まれているからなのではないかと思います。

死んだら無であるとしたら、こんなに不公平な世界はありません。
生まれつき肢体不自由な人や、頭脳明晰容姿端麗に生まれてくる人もいれば、
その逆の人もいるわけです。こんな不公平なこと容認できますか?
この地上世界の不公平さは何らかの意味のあることなのです。

哲学家の故池田晶子さんが生前「肉体が死んでも魂という存在があって、
こちらは永久に死滅することはない」と思っていたほうが絶対に、楽だし得ですよ
というような意味のことをおっしゃっていましたが、まさにその通りだと思います。

仮に死んだら本当に無になってしまえば、それはそれで楽だし、そうでない場合
は、ああ、やっぱり魂は死なないんだとの理解が早く、あの世での生活に
スムーズに移行できるからです。死んだら「無」になり楽になると思うから
自殺者も多く出るのです。自殺者は死ねばもっと苦しみの世界に入ることに
なります。

人間は肉体は死んでも魂は死ぬことはできないのだということを
多くの人に知ってもらいたいと思います。そうすればこの人生をおろそかに
することはできないし、自殺をする人も減ると思うのですが・・・・・・


ラベル:
posted by Aregro at 14:06| Comment(0) | 精神世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月14日

人間とは何ぞや?

人間とは?という問いに肉体と魂との観点からずばり、以前の記事(2012年10月)でご紹介
させてもらった、臨床医で東大の教授でもある「矢作直樹」先生が明快に
まとめられているので、「人は死なない」という先生の著書の原文を
そのまま引用させてもらいます。

・・以下引用(原著は縦書き)・・

まず、生死に関わらず肉体から離れても存続する存在を仮に「真体」と呼びます(真体は、肉体とまったく同じサイズ、スタイル、個性を持っているが電磁波のように肉眼では見えないとされる)。そして、肉体をまとっている(生きている)真体を「魂」、肉体を脱ぎ去った(他界した)真体を「霊」と呼びます。

人間はコンピュータを内臓した着ぐるみを着たようなものであり、電源を持った魂がコード(著者注:近代スピリチュアリズムでは「シルバーコード」と呼ばれ、日本では古来「玉の緒」と呼ばれている)でその着ぐるみと繋がり、スイッチを入れた状態になっている。この例えでいうと、魂はシルバーコードを介して電気を流し、着ぐるみおよびコンピュータを操作したりメンテナンスをしていることになる。

ここでいう着ぐるみとは肉体、コンピュータは脳、精神活動の結果生まれるコンテンツが記憶である。なお記憶は肉体の脳だけでなく魂にもカーボンコピーのようにまったく同じように共有される。魂自体は他の魂や霊と交感することができ、互いの姿が見え、声が聞こえ、自由に空間を移動することができるが、着ぐるみ(肉体)をまとうとそれらの能力は封じられる。ごく稀に着ぐるみをまとっても魂の機能が顕われる人間がいるが、そうした人々が一般に「霊感、霊力が強い人」と呼ばれている人々である。

着ぐるみはそれだけでは動かない。電源を入れて動かすのは魂である。いわゆる体外離脱(幽体離脱)とは、着ぐるみを動かす魂がシルバーコードを切らず一時的に着ぐるみを脱いでいる状態のことであり、死(肉体の死※注:管理人の補足)とはこの魂がシルバーコードを切って(電気を止めて)着ぐるみを捨ててしまった状態のことである。そして、魂を失った着ぐるみ(死体)は、朽ち果てていくだけである。

また、憑依とは、他界した真体(霊)が他者(他の魂を動かしている着ぐるみ)の心身が不調なときなどに許可なく入り込み、元の魂を押しのけて勝手に着ぐるみを操作している状態のことである。そして、他界した真体(霊)を意図的に自分に重ねる(通常は降霊役の助けを借りる)状態にすることを交霊という。

なお、自然科学では、コンピュータとその活動およびその結果については研究を重ねているが、それを動かしている魂の存在を前提としていないので、なぜコンピュータが動く(精神活動が営まれる)のかという問いには答えることはできない。


・・引用ここまで・・

かなり長い引用をさせてもらいましたが、まさにこのとおりだと思います。最後のほう、自然科学者が「魂」という根源的な前提を無視して肉体という目に見える物質のみを見て、「魂」などというとすぐ「非科学的」などと言い出すのは、目に見えるものしか信じない唯物論の限界から抜けられないからだと思います。もちろん前にも述べましたが一部の物理学者や自然科学者の中には、この見えない存在の存在を認識している人たちもいました。矢作先生のような方がもっと出てきて、このあたりの研究がどんどん進めば、人間も物質偏重の競争社会から抜け出て、全ての人と人とが思いやれる、真の平和な世界が訪れると思うのですが・・・・

まだまだ時間はかかりそうですね。
ラベル:矢作直樹
posted by Aregro at 15:33| Comment(2) | 精神世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月18日

「千の風になって」の歌詞への批判

前回の記事で、死んだ人間はただの有機物という話から、「千の風になって」を引用しましたが、なんと、この歌詞に対して仏教史家の「松雄剛次」という人が、その著書の中で「日本の葬礼習俗への挑戦といえるもの」などと批判をしているんですね。

ちょっと驚きました。確かに長い間行われてきた習俗、習慣というものはなかなか払拭できるものではありませんが、そういった、習俗を絶対とする考えに固執するというのはどういうものでしょうか?皆さんもよ〜く考えて見て下さい。故人の骨をお墓に入れて決められた時に、墓参りに行くというのは、確かに故人を忘れないためにもそういう意味では良いことかもしれません。

でも、故人がお墓の中に眠っているとしたら、あんな暗くて寒い地面の下にいるなど、とても可哀相ですよね。皆が死者の魂が地下の暗い墓の中などにいないで、天国ともいえるアナザーワールドに行ったと思えば、お墓など必要ではないとわかるようになるはずです。人間は死なない・・・ということが、理解できればこのような習俗もだんだんとなくなってゆくことでしょう。

人が皆、正しい死生観を持つことにより、高い値段で墓地を買わされたり、戒名を授けると称して数十万円も取られるということが、無くなってゆきます。まあ、こういうことで生業を立てている人には申し訳ないですが・・・・といってもなかなかなくならないとは思いますけどね猫

故人の遺品や大事にしていたものを形見として大切に所有するということは、故人を忘れないという意味では良いことだと思います。そのうえで、故人があちらの世界で楽しく暮らしいるのだという認識があれば、実際の別れはつらくともその後は残された人も元気に生きていけると思うのです。但し、いつも言いますが自殺者やこの地上世界でした行いによっていく場所も違うので一概に楽しく暮らしているとも言えない部分もありますが、普通の善人であれば、少なくともこの地上での暮らしと同じレベルの生活をしているはずです。

もう、いいかげんにお墓だの戒名などという、ものから開放されてみませんか?
posted by Aregro at 13:06| Comment(0) | 精神世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月11日

本物と偽物・・・江原啓之氏のこと

最近「スピリチュアリズム」というキーワードでネットで検索をかけると無数のサイトが出てきます。それはそれで、悪いこととは思いませんが、あまりに偽者が横行していることにちょっと愕然としました。

真のスピリチュアリズムの啓蒙活動をしている所はあまり多くありません。この中で「スピリチュアリズム普及会」というところは、人間にとって至宝と言える教えが、すべて無料で読めるようになっています。他にも良いところ、良いサイトはありますが、また別の機会にご紹介したいと思います。

逆に、この「スピリチュアリズム」という名称を借りて一番罪深いことをしているのは、最近マスコミでも寵児となっている江原啓之氏です。彼の性質(たち)の悪いところは真のスピリチュアリストのバイブルともいえる「シルバーバーチの霊訓」を持ち出して賞賛した上で、自分のカリスマ性を高めるために、自分の霊能力を使って受けたや啓示や教えを皆さんにお伝えしたいなどと言っていることです。

しかも、江原氏はテレビや雑誌などの媒体を通して、自分がいかに良いことを啓蒙しているかのごとく自己宣伝をしていることです。テレビや雑誌などの、商業主義に染まった媒体を使って宣伝をしているものはすべて偽物と思って良いでしょう。なぜならテレビ(特に民間放送)や雑誌などの究極の目的は、経済的な利益を得ることなので、テレビなら視聴率が上がったり、雑誌なら売上が上がる特集ならどんなものでも取り上げます。

また、江原氏の行っている啓蒙活動にはすべてお金がからんでいます。「シルバーバーチの霊訓」や他の3大霊訓といわれる言葉をよく読めばわかりますが、スピリチュアリズムにおける啓蒙はすべて無私無欲の行いでなければなりません。彼のサイトをみてビックリしたのですが、「スピリチュアル講座」などと銘打って、講座受講料5,250円も取っていることです。しかも売り切れ完売とか書いてあって、これはもう完全に興行の世界ですね。真のスピリチュアリズムとは正反対の世界です。

そのうえ、彼は自分を権威づけるために、「一般財団法人日本スピリチュアリズム協会」なるものを最近設立したようです。もちろんそこの代表理事にもなっていますが、真のスピリュチュアリズムとはスピリチュアリズムの教えを広めることで、その教えを広める人物を広めることではないのです。

次の一文は管理人のたわごとなので読まないでも結構です(^_^;)

この「一般財団法人日本スピリチュアリズム協会」なるサイトの代表理事のプロフィールに載っている江原氏の写真。顔の良し悪しのことではなく、どう見ても霊性の高い人の顔ではないような気がします。

以前、本ブログで「本物の見分け方」という記事に、真に人間のことを考え、利他的な仕事をしている人の顔は美しいということを書きました。ヨガナンダ師の顔を見てください。江原氏とは雲泥の差です。

話を戻します。

江原氏の最も罪深いところは、江原氏の宣伝していることが真の「スピリチュアリズム」だと誤解する人が多数出てくるということです。江原氏の所に集まる人々もたいていはこの物質世界での自分の人生を快適にしたいがために、集まっているのだと思います。立派な(立派らしく見える)団体やマスコミでも有名になった人なら信用できるだろうと思うのは、お金や物が一番と思う人間の物質中心主義、利己主義から派生するものです。ただ、時期の来ている人には本物を見分ける直感が働くので、江原氏に騙されるようなことはないと思いますが。

「江原さんを通して、真のスピリチュアリズムを知ることができました」などという人が多いのにはまさに愕然とする思いです。江原氏がいかに無知な人を騙しているか・・・・管理人も他人を批判できるような人間ではありませんが、こういう詐欺師まがいの人物が一刻も早く自分の間違いを反省して、無知な人々を惑わせるような行為は止めにして欲しいものです。

興味のある人は、こちらの記事も読んでみてください。

スピリチュアリズムから見た“オーラの泉

江原啓之氏の、おかしなおかしな“昌清霊言

posted by Aregro at 19:14| Comment(0) | 精神世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月06日

お墓は必要ですか?死ぬことは忌まわしいことですか?

お墓参りという行事がありますが、まあこれはひとつの意味として習慣化された行事で、生きている人が故人のことを忘れないための行いだと思います。このお墓ってやっぱり必要なんでしょうか?最近はお墓を作らない人も増えているようですが、だいたいお墓の中に死んだ人はいません・・・・・よね。人間は死ねば(肉体が死ぬということ)ただの有機物です。だいたいお墓の中の暗い土のなかに死んだ人がいるとすればあんな暗くてジメジメした土の中に眠っているのはとても可哀想です。死んだらすべてがなくなる・・・これは唯物論者の考え。

これはありえないと思います。死ぬと魂は生前その人の霊的な進歩に見合った界層へ行きます。だから死ぬことを他界というのでしょうね。天国と言う言葉がありますが、魂はまさに天国へと向かいます。もちろん天にあるわけではなく、まるで別の次元のアナザーワールドということです。なぜ、天国というのか?それは肉体を纏っていた時とは雲泥の差の身軽さと快適さのある世界だからです。普通に平凡にいわゆる善良な市民と言われるような人間をやってきた人はこの界層に行くようです。最近、以前から考えていた、なぜ、人は存在するのか?なぜ人は生まれてくるのか?・・・という疑問に明確に答えてくれるアナザーワールドからの霊性の高い人のメッセージを書きとめた素晴らしいものに出会いました。具体的には名前を出しませんが、そこには、人間の存在の意味が明確に示されています。そんなのウソだろ、オカルトだろ、と言う人もたくさんいるでしょう。でも時期が来ている人には理解できます。そこには人間が勝手に脚色した宗教など完全に越えた叡智が示されています。

科学万能と思っている科学者は科学で解明できないものは、すべて否定します。この世の中というより、この宇宙には人智などはるかに及ばないことがほとんどなのだという気がします。お墓の話からすこし飛躍しましたが、墓地や墓石などを高く売りつけて生業にしている人達や、戒名などと称して戒名ひとつに数十万円も要求する仏教者などは、人間の無知に乗じたとんでもない行いをしているのではないでしょうか。

GUM04_PH08116.jpg

死は、本来は祝福されて良いものです。但し、自殺はダメです。この世に魂の成長のために自分の意思で生まれてきたのに、その自己責任を果たしていないからです。自殺者の死後の行方についてはここでは書きませんが、まあ、死んでも魂は死ねないので、苦しみは無くなりません。寿命が来るまでは自分の肉体を死滅させてはいけないという気がします。もちろん、事故死や病死はその人の自分の意思ではないので自殺とは違います。人間、多くの人が死の恐怖を抱いていますが、肉体の死についての正しい認識ができれば、死の恐怖というのはなくなると思います。

お葬式の時に笑っている友人がいてひどく憤りを感じたなどという新聞の投書を見たことがありますが、笑って送ってあげた人のほうが正解です。「不自由な肉体から開放されて、しばらくはあの世でゆっくり楽しんでね」という気持ちで送ってあげたほうが、死んだ人もあの世へも旅立ちやすくなるようです。故人に対するあまりに強い執着は、死んだ人のあの世への旅立ちを妨げてしまいます。確かに愛する人や親しい友人との別離はつらいですが、同じ霊的レベルならあの世で再開することができます。死という恐怖がなくなれば、この物質世界でも生きやすくなると思いますが、いかがでしょうか・・・・・・・・。 
posted by Aregro at 12:36| Comment(0) | 精神世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月13日

瞑想

少し前、ジャズヴォーカリストでフルート奏者でもある
若生りえさんに、瞑想のおすすめをしてしまったので、
今日はちょっと瞑想について書いてみます。

管理人、瞑想は大分前20代の頃、師について
指導を受けたことがあります。その後も中断を繰り返しながら、
最近はまたボチボチ行っています。

まず、瞑想の仕方ですが、
なるべくなら静かな環境の部屋などのほうが良いです。
照明は通常のままで結構です。暗くしたほうが良いという人は
照明を落としても大丈夫です。

床に胡坐をかいて、下になっているほうの足を反対側のふくらはぎと
腿の上に乗せます。この状態を「半跏趺坐」といいます。この状態で
また反対側の足を上に乗っている足の間から太ももとふくらはぎの
上に乗せる「「結跏趺坐」というのが正式な座り方ですが、これは
足が痛くてできないという人も多いので「半跏趺坐」で充分です。

これもできないという人は胡坐でも良いのですが、胡坐だとどうしても
安定が悪くなり姿勢も背筋が伸びません。胡坐の場合は必ずお尻の後ろに
座布団を敷いて安定を保ち背筋が伸びるようにしてください。

因みに管理人は「結跏趺坐」もできますが、「半跏趺坐」でお尻の
後ろのほうだけに座布団を充てています。手は軽く組んだ足の上に
重ねて置いておけば良いでしょう。よく指で「印」を結んで
ひざの上に置いたりするポーズもありますが、特にそのようなことは
する必要はありません。

背筋を伸ばし、この姿勢ができたら、何回か深呼吸をして呼吸を整えます。
そして、目をつぶり何も考えない・・・・・というのが一番難しい(~o~)
いろいろな考えや、ビジュアル的な光景などが次々と浮かんでくると
思いますが、(いわゆる雑念というものです。)
無理にこれをなくそうと思わなくて結構です。ただ、この雑念にとらわれない
ように、第三者のような目で眺めるという感じが良いでしょう。

この瞑想に入るやすくするためのツールがマントラというものなんですが、
短い呪文のようなものです。ヒンズー教の「オーム」とか「キリスト教」の
「アーメン」「エーメン」などもマントラの一種ですが、これらの言葉には
もっと深い【聖音】としての意味もありますが、これを説明するとまたまた長くなって、しかも瞑想とは少し違う話になってしまうので今回は省略です(笑)。

マントラは本当は何でも良く
例えば、「ありがとう」とか「1、2、3」などでも良いのです。要はある音を
繰り返すことによって、瞑想状態に入りやすくするというものです。

管理人は、先生に「これはあなただけに伝授するマントラですから誰にも
教えないでください」などと言われてマントラを教えてもらいましたが、
後の学習によりマントラは何でも良いということがわかりました。

こういうことを言うと専門家の先生からは叱られそうですが、
眠れない時の呪文「羊が〇〇匹」と似たようなものです。

人によっては般若心経の最後の呪文の
ぎゃーていぎゃーてい・・・・と唱える人もいるようです。
要は現実のものを連想しない、あまり意味の無い言葉が良いと思います。

般若心経の最後の呪文はサンスクリット語の音で表記すると

ガーテーガーテー、パーラーガーテー、パラサムガーテーボーディスヴァーハー

となりますが、これだと何の意味やらわからないので、よいですが、
ちょっと長すぎるかなとも思います。音にして3文字から4文字くらいが
繰り返しに対してリズミカルになるので良いとおもいます。

そうこうしているうちに、瞑想が深まってきます。時折自分の予期しない
映像(ちょっと言葉が変ですが気にしないでください)が見えたりすること
がありますが、これも流すだけにします。瞑想状態が深くなると呼吸が
浅くなります。逆ではないかと思われる方もいるかもしれませんが、瞑想が
深まると身体的、肉体的機能は活動が不活発になります。

最初は10分くらいから始めるのが良いと思います。心地よいと思ったら
徐々に時間を長くしてやります。瞑想から覚める時は軽く目を開け、
急に立ち上がったりしないで、少しずつ体を動かし徐々に普通の行動に
移るようにします。あまり無いことですが、瞑想中不快な感じになったり、
したら目を開ければ通常に戻るので心配は要りません。

真の聖者や覚者は瞑想により肉体は仮死状態になり、魂が自由に体の外に
出ることができると言いますが、これを経験できる人は殆ど稀だと思います。

スイスの心理学者のユングが、瞑想中意識が体から抜け出て、地球を外側
から見ている自分を体験した・・・ということを読んだことがありますが、
このユングと言う人、かなり魂のレベルの進んだ人であったのかなぁ・・・と
思っています。

西洋精神分析学の祖としてはフロイトが有名ですが、彼は人間の肉体と
脳という領域からは出られなかったところが、ユングとは決定的な違いが
あると思います。

話が脱線してしまいましたが、瞑想の効用としては、心身の疲れが
とれたり、精神状態が安定したりと結構良いことも多いです。
特に神秘体験などしなくても、楽しんで瞑想をすれば良いと思います。

またまた余計なことを言いますが、瞑想とかこのブログに書いてあるような
内容の話をすると多くの人は「宗教」と思ったりしますが、宗教とは
一切関係ありません。管理人も宗教は大嫌いですし、そもそも宗教とは
人間の作った悪弊です。キリストもブッダも宗教は作りませんでした。
彼の人たちは、この宇宙の真理を教えに来ただけなのに、後の人間が
勝手に宗教にしてしまったのです。

長くなってしまったので、あまり余計なことを言わないうちに今日は
この辺で・・・・・(^_^)/

ラベル:瞑想
posted by Aregro at 12:40| Comment(0) | 精神世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月22日

肉体の死

肉体の死

ある人の言葉をそのまま引用させていただきます。

・・・・・人生は無常だという考え方は、悲観的な見方を意味するものではありません。 むしろ、人生をあまりに深刻に受け取るべきではない、と考えるべきです。 マーヤという宇宙夢は、我々の肉体を、いかにも本物らしく、また我々の存在を支えるうえに必要不可欠なもののように感じさせていますが、実は、肉体は、死によって一瞬のうちに魂から取り去られ、しかも、その【分離手術】は何の苦痛もともないません。そしてその分離が終わったとき、あなたはもう、時間も、着る物も、食べ物も、住む所もいらなくなります。なぜなら、あなたはその時、もうこの肉の塊を運ぶ必要がないからです。あなたは肉体から解放され、しかも、あなたは依然としてあなたとして存在しています。こうした事実がなせ人々の目からかくされているのか、また、この地上を去って行った何億もの人々は今どこにいるのか、そんなことをあなたは考えたことはありませんか?・・・・・

今日は何も解説はしません。
posted by Aregro at 00:41| Comment(0) | 精神世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月01日

ひさしぶりの更新です。

昨日夢を見ました。

夢を見ることなどそんなに珍しいことではないかもしれませんが、
ちょっと夢にしてはあまりにリアリティがありすぎたので・・・

以前知っていた女性が登場するのですが、まあ
具体的な夢の内容は恥ずかしいので控えますが(笑)
ものすごくリアルな夢でした。

目が覚めた時も、一瞬どちらが現実だかわからないような
感じでした。

以前見たある本に書いてありました。
夢というのは魂が肉体から離れて、本来の活動を
しているのだと、ちょっと信じられないような話かもしれませんが、
これ、本当かもしれない・・・と思える夢でした。

よく魂は肉体の中に宿ると言いますが、
本当のところは、魂の内側が肉体だそうです。
魂が肉体を包んでいるということでしょうか。
posted by Aregro at 23:56| Comment(0) | 精神世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月14日

人間死んだらどうなるか?

お盆休みで休んでいる人も多いと思いますが、お盆って死んだ人が帰ってくるっていう言い伝えがある行事?じゃなかったですかね。

ちょっと記憶が曖昧ですが、だからお墓参りに行ったりするんだと思います。でも誰かの歌の文句ではありませんが、死んだ人はお墓の中にはいませんよね。これは確かな気がします。

では、人間死んだらどうなるのでしょうか?
考えてみたことありますか?人間の死は一応現在では肉体の死を意味しますが、肉体が死ぬとどうなるのか・・・管理人なりに昔から考えていることをこのブログの姉妹サイトに書いてみました。興味のある人は見てください。

http://everlastingspirit.net/
posted by Aregro at 09:19| Comment(0) | 精神世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月09日

しあわせ感は伝染する

昨日のAFPニュースに載っていた記事なんですが、

本文をそのまま引用させてもらいます。

 幸福感は他人に伝わりやすく、家族や友人などの社会集団の中でさざ波のように広がるが、職場では同僚の感情にあまり影響を受けない――。このような研究結果が5日、英医学誌「ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル(British Medical Journal、BMJ)」で発表された。

 ハーバード大学医学部(Harvard Medical School)のニコラス・クリスタキス(Nicholas Christakis)教授と、カリフォルニア大学サンディエゴ校(University of California, San Diego)のジェームズ・フォーラー(James Fowler)教授による共同研究によると、誰かの幸福感に変化が起きると、「幸福」または「不幸」な人々の社会的また地理的な集団が形成される。つまり、充足感は個人がそれぞれに感じるだけのものではないという。

 研究結果によると、他人の感情は、同居人よりも隣人や友人からのほうが伝染しやすく、職場では幸せな同僚がいても影響を受けない。これは、社会的状況が感情の伝染を抑止している可能性がある。

 最も重要なのは、人々が社会的ネットワークの一部であるということで、ひとりの健康や幸福感が他人に影響を与えるということを認識することだという。

 地理的条件も、幸福感に影響する。幸せな友人が1マイル(1.6キロ)以内に住んでいれば、自分も幸福感を感じる可能性は25%増加。また、同居人が幸せな場合は8%、近くに住む兄弟姉妹の場合は14%、隣人の場合は34%増える。

 この研究結果は「画期的」だという。添付された論説で、ロンドン大学ユニバーシティ・カレッジ(University College London)のアンドリュー・ステップトウ(Andrew Steptoe)教授と、ミシガン大学公衆衛生大学院(University of Michigan School of Public Health)のアナ・ディエス・ルー(Ana Diez Roux)教授は、「幸福感が実際に社会的関係の中で伝染するなら、間接的に健康を広めることも可能となり、政策や医療方針を設計する上で大きな影響を及ぼす」と指摘している。(c)AFP


これって、どのような科学的検証がされたかは
定かではないですが、やはり人間の意識というのは
物質か波動かわかりませんが、なにやら存在するものだと
思えます。

ただ、これでいうと周囲によからぬ感情を持った人がいると
やはり影響を受けるのではないかと思います。
実際にあまり良いとは思えない意識を持った人たちの
中にいるとだんだんとそのような人たちから影響を
うけると言うことは事実あります。

「朱に交われば赤くなる」ということわざもありますよね。

やはり良き波動を持った人達とおつきあいしたほうが
よさそうですね。
            



posted by Aregro at 00:26| Comment(0) | 精神世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月29日

あるがまま

窓2.jpg

あるがまま、あるがままを受け入れなさい・・・
マザーメアリーの天からの啓示・・・・・

あるがままを受け入れる
これができれば、もう人生の達人。

ビートルズも晩年、段々と哲学的になってきたけど

この完成された曲と詩・・・・
驚くべきはこれを作った時のポールの年齢
なんと28歳!

この歳でこれだけのものを作ってしまったなんて!

やはり天才は違う。ポールのすごいのは
その後も延々と創作に演奏に活躍を続けたということ
でしょうか。

いやはやあらためて感心してしまいます。

詩も曲も歌も素晴らしい「Let it be」
聞いてください。
http://jp.youtube.com/watch?v=67J_66hdN-I
posted by Aregro at 00:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 精神世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月25日

今いる所

枯葉.jpg

サービスです。キース・ジャレットの「枯葉」
が聞けますよ。
http://jp.youtube.com/watch?v=io1o1Hwpo8Y
素晴らしい演奏ですね!

あなたが今いる所、境遇や地位、あなたをとりまく
人々、現在の状況はすべてあなたが自分自身の選択
の結果です。

たとえば、今何か良くない状況にある場合、これを
招いたのもあなたです。誰のせいでもありません。
すべてあなたが過去に選び自分で決めた結果です。

この真実を認め受け入れてしまいましょう。
だからと言って決して自分を責めるということでは
ありません。過去はもう過ぎ去っています。

もし間違った選択をしたと気づいた場合、
そこから軌道修正すればよいだけのことです。

他人のせいにしたり周囲のせいにするのは被害者意識
というものです。すべて自分の選択の結果と
素直に受け入れるのが責任者意識というものです。

ここに気が付けばもうあなたは怖いものは
ありません。潜在意識を見方につけることが
できます。

P.S.管理人のひとりごと

キースの演奏・・・素晴らしいんだけど、このうなり声
どうにかならんかなぁ・・・100点満点がこれでいつも
90点になってしまう。でもキースの場合このうなり声が
アドリブのメロディーになってるからなぁ、しょうがないか。

お!Eva Cassidyという歌手の「枯葉」もいいぞ!
しかし、You Tubeなんて便利なものができたものですね。
枯葉つながりで色々聞けちゃう。
音質はあまり良くないけど仕方がない。
長生きしていてよかった!(笑)ハハハ
ところでアンタ何歳?
ハイ100歳です!

おっとっと!!
管理人の敬愛する御大「ビル・エバンス」の枯葉もある!
すごい!これいつの演奏だろ。
ベースは「エディ・ゴメス」しかしこのエディ・ゴメスって
いうおじさん、超人的なベースですね!
こんなものが見れて聞けるなんて、感謝してます!
http://jp.youtube.com/watch?v=89B6OmBuG4A

お!「Someday my Prince will come」もあるぞ!
しかし音は悪いが貴重な映像だ。
ダメだ、今日は延々聞いてしまいそうです。


posted by Aregro at 19:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 精神世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする