2015年06月13日

人生の目的とは

ラムサ・・・という高次の魂が、地球上の普通の女性を介して、話したことをまとめた【ラムサ・・・真・聖なる予言】という本の中の人生の目的とはという箇所に書いてあったことです。とても素晴らしことが書かれていますが、そのまま抜粋しておきます。皆さんはどう思いますか・・・・

以下・・・・・抜粋

自分のあるがままを愛する時、不可能なこと、手の届かないことは何もなくなる。自分を本当に愛するとき、人は笑いの光の中だけに生き、喜びの道だけを歩むようになる。自分に恋するとき、その光、そのまとまった力、幸福、底抜けの明るさ、その楽しそうな状態が全人類へと拡がっていくのだ。そしてあなたの驚くべき存在の内面に愛があふれるとき、いろいろ不快なことがあるこの世界が美しくなり、生きることは意味を持ち、よろこびにあふれた状態になり、そのよろこびは、あなたという存在のよろこびを通じて、すべての生命を高揚させ、その栄光をたたえ、あなたの存在が純粋であることを謳いあげるのである。
 自己への愛のため、自己を満たすために生きること以上に偉大な人生の目的はない。それを成し遂げるためには、人生に飛び込み、自分に幸せをもたらすことをすることだ。それによってのみ可能になる。たとえそれが何であってもである。それは間違っているとか、あなたのために良くない・・・などと誰が言えるのか?神はそんなことは絶対に言わない。神はあなたが向かっていくあらゆる方向そのものであり、あなたのすべての体験がもたらす結果でもあるからだ。他の人間にど思うか訊ねたりもしてはならない。あなたの人生を悩ませてきたのと同じ制限をもっているというのに、他人がよろこびについて何を知っているというのだ。
 父なる存在は、あなたがよろこびあふれる人間になるよう迫っているようなものだ。あなたが心を開いてそれを受け容れるのを、いつもそばで待っている。「求めよ、さらば与えられん」というのは、そういう意味なのである。いつの時にもよろこびを持つというのは、実は単純なことなのだ。あなたはそれに値することを知って欲しい。
 よろこびはよろこびを生む。「迫られている」よろこびを受け容れるとき、それはこれから訪れるあなたの将来の日々のよろこびをさらに高め、あなたの心を開いてもっと多くを受け容れられるようにしてくれる。だからこそ、いつの時も自分を愛することが絶対に必要なことなのだ。それができれば、これから先の自分の「ペース」が決まるのである。何が自分を幸せにするかを自分に訊ね、それが何であっても、自分のフィーリングが告げるままに実行することだ。自己への愛、そしてそのよろこびのために生きるとき、その陶酔と高揚の瞬間はすべてあなたの存在の魂に記録される。そして今度は、それがこれから先、さらに多くの幸福とよろこびの瞬間をつくり出していくのである。

・・・・・以上、抜粋
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引用図書
【ラムサ---真・聖なる予言】
著者:ラムサ
訳者:川瀬 勝
発行者:角川春樹
発行所:株式会社 角川春樹事務所


posted by Aregro at 19:03| Comment(0) | 精神世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月14日

エゴに支配されている私たち

当サイトでも度々お名前の出ている山川紘矢さんの書かれた本の中にとても良い一説がありました。原文の引用で恐縮ですが、ご紹介しておきます。本当に山川さんのおっしゃるとおり人間ってエゴの塊りです。これがあらゆる争いの元でもあり、格差社会の原因でもあるのです。以下原文そのまま引用させていただきました。

・・・・・以下原文引用

「いつも人に勝ちたい」
「自分が正しい、あいつらは間違っている」
「あいつらはけしからん」
「戦争してお国のために命を捨てるのは名誉なことだ」
「自分だけ良ければいいのだ」と考えている人もいるでしょう。
「自分は今のままでは完全ではない」
「ありのままの自分なんて受け入れられない」
みんなある意味で自分が正しいと必死で頑張っているのです。しかし、本当の意味では自分が何をしているのかをよく知りません。攻撃的な人は被害者意識が強く、心に傷を持っていますが、そのことに自分では気が付いていません。自分には見えないのです。イライラしている人は、自分がどうしてイライラしているのかを知らないのです。いつもイライラしてきたので、それが普通の事だと思っているのです。
厳しい世界を生き抜いている人は、平和な心がどんなものか、忘れているのです。妻子を養っていくために本当に、毎日、精一杯にいきているのです。
エゴが見えていないときは、エゴがあなたを乗っ取っています。多くの人はエゴと自分が一体化しています。ある意味ではエゴのなすがままです。生きるために不正をしたり、人を騙したりしなければならないと信じ込んでいる人だっているかもしれません。

エゴはいつも物事を恐れから決めています。
よく自分を見てみましょう。

自分の中に恐れがありますか?
負けることは嫌いですか?
お金を失うことは怖いですか?
病気が怖いですか?

誰もが死にます。死ぬときは誰もが降参(サレンダー)しなければなりません。そうなっているからです。いくら怖がっても死ぬときは死ぬでしょう。でも、本当の意味では死はありません。苦しみがあるのはエゴで生きているからです。危険、不安、失敗、恐れ、悲しみ、恥、はみんなエゴが物事をそう解釈しているだけなのです。
・・・・・引用ここまで。

エゴに支配されているがために、人は誰かの優位に立ちたい、自分よりあいつは劣っている、なんであんな奴が俺より広い知識があるんだ・・・・あいつの弱みを握ったから、皆に知らしめて貶めてやろう・・・・こういう気持ちはすべてエゴのなす仕業です。エゴを失くすには自分の価値を認めましょう。どんなに劣っている人と思われている、また自分で思っている人でも、生きている意味はあるのです。世間一般でも経済的なことや結婚や家庭、社会的な地位などあらゆるものに勝ち組負け組などという優劣をマスコミなども平気で表現しています。自分の存在価値を見つけて、他人の利点も認めることができれば、皆平等に助け合って生きられると思うのですが・・・・・。
posted by Aregro at 22:29| Comment(0) | 生き方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月22日

死の恐怖とアンチエイジング

前の記事で引用させていただいた、筑波大学の村上和雄先生の書いてらっしゃること、同じ本からまた引用させていただきます。以下、青文字の部分が引用文です。

・・・今の日本人は、死をもっとも恐れている民族のひとつだそうです。京都大学大学院のカール・ベッカー教授(人間・環境学研究科)と対談したことがありますが、最近の日本人は死というものを見たくない、できるだけ避けて恐れるそうです。五、六〇年前日本人はそうではなく、あの世を信じて死を自然なものとして受け止めていたのに、現代の日本人は死を異常なまでに恐れていると言うのです。

死という問題を解決しなければ、人間は幸せになれません。魂が永遠の命みたいなものであり、肉体的な命はなくなるんだけれども魂はずっと続く。そう考えると、死がそれほど怖いものではないと理解でき、少し不自由だけれども肉体というものを伴って現世に滞在し、時期がくれば元いた場所に帰って行くという仕組みが腑に落ちます。すると死は、そもそも問題視されるものではないとわかります。だから、少しチクッと言わせていただくと、巷で人気のアンチエイジングは無駄なのです。エイジング、つまり加齢という自然法則には勝てません。アンチエイジングは、きわめて不自然です。なせ、アンチなのかが理解できません。むしろ「見事に死ぬ」「どう老いるか」を論じるほうが、健康的で自然です。・・・


まったく先生のおっしゃるとおりで、人間、100歳まで仮に生きたとしても、20代の肉体でいられるわけではないのです。物質である肉体は必ず朽ち果てます。それが自然の摂理だと思います。先日NHKの「キッチンが走る」と云う番組で、新潟県の豪雪地帯、十日町に訪れて地元の人とのふれあいの場面が写っていましたが、その中である農家のおばあちゃん、とても元気そうですが年齢を聞いてビックリ!91歳とのこと。肌もつやつやしていて、腰も曲がってはいません。頭もしっかりしていて会話も普通にできるし、食事も皆さんと同じものを食べていました。柔和な笑顔がとても可愛らしいおばあちゃんでしたが、こういうのは自然のままでとても素晴らしいことです。ここの取材をした家庭の皆さんご近所の皆さん、食事の前に手を合わせていましたが、自然と感謝の気持ちで生きているのだと思います。アンチエイジングなんてしなくたって、自然と向き合い感謝の気持ちで生きている人達は、とても素晴らしいなと思いました。
posted by Aregro at 12:05| Comment(0) | 生き方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月11日

私達の体はレンタル品

私達の体はレンタル品・・・・この言葉を言ったのは私ではありません。筑波大学の教授で高血圧の原因となる酵素「レニン」の遺伝子の解明をして世界的な注目を集めた村上和雄先生の言葉です。これ、なんだろう?って思う人も多いかもしれませんが、先生があの東大教授の矢作先生と対談した本の中の一文をほぼ全文引用させていただきました。

以下、引用です。

【・・・私が魂の存在に惹かれるのは、身体の想像を絶する入れ替わりのしくみを知り、考察したからです。細胞は毎日、ものすごい勢いで入れ替わっています。では、それらの細胞はどこから来ているのか?
その組成や発生の順番をひも解くと、細胞は私たちの毎日食べる食事から成り立つことがわかります。食物からさまざまな細胞ができるわけです。地球の無機物を植物が摂取し、それを動物が摂取し、さらに人間が摂取しています。つまり私たちが身体に持っている元素は、すべて地球の元素です。では、地球の元素はどこから来ているのかと言えば、もちろん宇宙から来ています。
 自分の体は自分のものだと思っているかもしれませんが、実は私たちの体はすべて借り物、要するに”レンタル”なのです。レンタルですので、期限が来れば返さねばなりません。これが「死ぬ」ということなのです。貸主は地球、宇宙、そして神です。・・・中略・・・それでは借主は誰でしょうか?
あなた?あなたというのを仮にあなたの体(肉体)と表現すると、体は60兆個の細胞でできており、それらは1年くらいでほとんど全部入れ替わりますから、そういう主体性のない存在に借りる権利はありません。
 では、心?そう思うかもしれませんが、そうではない。なせなら、心はしょっちゅう変わります。細胞と同じです。入れ替わるというか、心はその時の状況や感情でどんどん変化します。昨日の考え方は、今日にはありません。こんな不安定なものに体を貸せるわけがありません。
 すると、残っているのは魂しかありません。「三つ子の魂百までも」と言いますが、「三つ子の心百までも」とは言いません。心も体も日々、入れ替わっているからでうす。
 心は確かに私の一部ではありますが、毎日変わります。死ぬと、くやしい、さびしい、嬉しいといった心はなくなりますが、魂はなくなりません。こう言うと、死後世界の問題は医学や遺伝学とは何の関係もない、見当はずれだからよそでやれ、そもそも宗教学で議論せよとなるわけですが、よく考えてみてください。人間は心だけで動いているわけではないのです。
 潜在意識という、自分の意志(顕在意識)ではどうしようもないようなもので動いている時もあります。そういう状況を考えると、魂こそが本当の自分であり、それに対して神が体を貸しているというのが、私の中では正解です。】


魂の存在、人間の肉体は借り物・・・ということについて、納得の一文ですね。今は本当にこういう科学の世界の人達が魂の存在や、アナザーワールドの存在について、確信的な考えを述べてくれています。たくさんの人達がこのような人間の根源的な真理ともいえることを認識すれば、生きることも死ぬこともずっと楽になると思うのですが、いかがでしょうか・・・・・。
posted by Aregro at 00:28| Comment(0) | レビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする