2014年12月14日

生と生のはざま

生と生のはざま・・・生と死のはざま、という言葉は聞いたことがあるかもしれませんが、ちょっと聞きなれない言葉かなと思います。「なまとなまのはざま」とは読まないでくださいねわーい(嬉しい顔)と冗談はさておき、これは現在生きているこの物質世界から肉体が死んで、また、またこの不自由な肉体へ転生するまでの間、いわゆるあの世のことなのです。「輪廻転生なんかありえない、人生1回きり、死んだら無だよ」と、こう思っている人はこれから先書くことは読まないでください。

いつも言っていますが、こういう話をするとすぐ宗教だ、新興宗教だ、という人がいますが、宗教ではありません。宗教は人が作ったものです。また宗教は自分たちの主義主張に反するものは排斥しようとします。宗教戦争がなくならないのもそのためです。これも人間が勝手に自分たちの都合の良いようにアバター達の教えを歪曲してしまったからなのです。キリスト教にしてもしかりです。まずいろいろな流派があると言う事が不自然ですよね。イエスは神ではなく、もちろん非常に進化した魂であったことは間違いありませんが、イエス・キリストを全能の神の子に仕立て上げ、都合の良い部分だけ自分たちの教義にしてしまったのも人間です。

 ちょっと前置きが長くなりましたが、このイエスも人間が死ぬとまたこの世に転生しなければならないと言っていました。但し、これもイエスの死後歪曲されて、キリスト教では死んだら天国か地獄へ行くしか選択の道はないとなりました。そうではないのです。肉体が死ぬと魂は中間生(バルド)というアナザーワールドへ行きここで次の転生への準備をします。もちろん、ここは休息の場所でもあります。ただ、ここでは前回の生で果たせなかったことや、自分を成長させるために今度はどんな境遇に生まれるかなど、指導者ともいえる進んだ人達(霊)からアドバイスをを受けます。ただ、強制はされないようで、最後はやはり自分で決めます。この辺のことは医学博士で哲学博士でもある「ジョエル・L・ホイットン」という人の研究を紹介した本に詳しく書かれています。但し、進化の初期の魂は中間生でも眠ったような状態ですぐに未進化な肉体に転生してしまうようです。しかし、少しでも自分の人生について疑問や迷いを感じた人はなんらかの課題を持ってこの世に生まれてきているのだと思います。

私達のおかれた境遇は決して偶然のなせるわざによって決められたことではないのです。私たちはこの中間生で選択したことを体現しているわけで、今置かれている境遇は誰のせいでもないのです。自らの魂の向上のために自ら選んだ生(ストーリー)なわけなので、そこから何かを学びとらなければならないと思うのです。自殺という行為はこの宿題を放棄してしまうことですから、肉体が滅んでももっとつらい思いをしなければならなくなります。自ら選んだ生なのですから、受け入れて寿命がつきるまで、ポジティブに生きてゆくのが大切だと思います。与えられた寿命をまっとうすれば、再び光り輝くアナザーワールドへ帰ることができます。死は少しも怖いことではないのです。また、今生でも一人きりになったとしても、目には見えないかも知れませんが、見守ってくれている人たち(肉体は無いので普通の人には見えませんが)がたくさんいます。決して一人きりではないということを思い出してください。死は忌まわしいこと・・・と思われていますが、自殺以外の死はむしろ喜ぶべきことなのではないかと思います。

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2014年08月26日

盲導犬を刺すというニュースを見て

目の不自由な人の目となっている盲導犬。皆よく訓練されていて実にすばらしいと思います。こんなに人のためになっている犬を刃物で刺す人物がいるとは・・・・こういう出来事を知るたびに愕然としますね。こういうことをする人の感情とはどうなっているんだろうか?・・・・と。悪魔に精神を乗っ取られているのではないかと思ってしまいます。盲導犬はこういうことをされても、抵抗しないように訓練されています。ニュースにも書いてありましたが、

「見えない、抵抗しない」に付けこむなんて人間としての最低の行為だと思います。自分より弱いもの、抵抗しないものに対して虐待やいじめということをすると快感があるんでしょうかね。学校や職場でのいじめ、幼児虐待など弱いものいじめという行為をする人間もなんらかのプレッシャーや不満を抱えている人間です。しかも自分が弱いことを自覚しているので、自分より弱いものに矛先が向くのです。今、生きていることが楽しくて楽しくて幸せいっぱい・・・・という人は絶対にこんな卑劣なことはしません。

話しを盲導犬の話に戻しますが、ニュースを見るとここまでしないまでも、こういう盲導犬などに対して批判的な目を向ける人も多いとか。ニュースにあった文章をそのまま引用させてもらいます。

国産盲導犬第1号が歩み始めてから57年経った今も、世間一般の理解は十分とは言えない状況だ。歩行中の嫌がらせ行為や育成団体へのストーカー的な苦情電話が後を絶たない。一部の使用者や育成団体関係者の口からは、「近年、逆に誤解や色眼鏡で視覚障害者と盲導犬を見る人が増えている」という言葉も出るほどだ。


こういう人達がいるなんて・・・このニュースを見るまでは知りませんでした。どうして人間にはここまで未熟でエゴの塊のような人間がいるのか・・・自分がこのような不自由な立場になって見たことを考えてみてください。五体満足の自分が良ければ他はどうでもいい、盲導犬など邪魔・・・こんな風に考えているんでしょうか?これらはすべて人間のエゴですね。盲導犬、公共交通機関に乗っているところに時々遭遇することがあります。人の邪魔にならないようにできるだけ隅に座って目の不自由な人のサポートをしています。あの健気な姿を見たら、応援のエールを送りたくなるのが普通の人の感情だと思います。

盲導犬やいろいろな障害を持った人を排斥しようとする人は普通ではなく、人間としてものすごく低級な人たちと言わざるを得ませんね。まあ、こういう人たちはいずれどこかで自分がつらい目に遭います。これはこの宇宙の摂理です。こうして人間の魂は成長していくのですが、未熟な魂もたくさんいるというのがこの地上世界なんですね。この広い宇宙のなかでは地球上の人類というのはまだまだかなり低レベルなようです。なので争いや戦争などもなくなりません。でも、少しでも良い意識の人たちが増えて行けば、段々と地球全体も進化していくのだと思います。個人の力は微力ですが良い意識を持つ人が増えれば、少しづつでも良くなっていくと思います。頑張りましょう。

よく、世の中が悪くなる、世の中が良くなると言いますが、これは人が悪くなったり良くなったりすることによって、世の中が変わるのです。世の中が悪いから云々ということを言いますが、世の中を悪くしているのは人間です。

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ラベル:盲導犬 いじめ
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2014年06月15日

サッカーワールドカップに思う

サッカーのワールドカップが始まり、今やどこへ行ってもサッカーの話。ツイッターなどでもサッカーを楽しんでいるつぶやきがすごく多いですよね。もちろんこれはこれで楽しい話なので良いと思いますが、マスコミなどもサッカー一色。テレビなどもどこのチャンネルを見てもサッカーの話題が・・・・

好きなことを楽しむことは大いに結構だと思います。でも、ちょっと疑問に思うことがあるんです。日本人って農耕民族の遺伝子が浸透しているのか、人と同じことをしない人はなんとなく排斥される・・・という悪い傾向があるような気がします。それで昔は「村八分」などという悪弊も起きたわけですが、もちろんサッカーはあまり興味が湧きませんと言ったからといって、村八分になるようなことはないと思いますが(笑)先日テレビを見ていたら街頭インタビューで老年に近い女性に、「サッカーワールドカップが始まりますが、サッカー観戦とかされますか?」との質問。その女性は「サッカーはよくわからないけど、日本チームの応援はしたいと思います」・・・・う〜ん、と考えてしまいました。

日本チームが出ているから応援する、否、応援すると言わないといけない・・・こんな図式ではないかなと思いました。サッカーなども趣味の世界、ある意味娯楽の世界ですよね。別に興味がなかったら応援などする必要はないのです。でも、皆が応援しているから私も応援しなくちゃ、・・・本当のところは皆が応援しているので、自分も応援すると言わないと変わった人だと思われる。

これですこれ、これは日本だけではないことかもしれませんが、常にマイノリティー(少数派)というのは立場が弱いです。今は小学生あたりでも、サッカー好きじゃないなどと言うといじめの対象になったりするのかもしれません。もちろんサッカーに限らずすべてのことに当てはまるのではないかと思います。

私も正直言って、サッカーはほとんど興味ありません。もっと楽しいこと、自分でやりたいことがたくさんあって、そちらに時間を割きたいです。またへそ曲がりなことを書いてしまいましたが、本音です。ちょっと大げさかもしれませんが、こういう皆と同じじゃないとダメという感覚が全体主義へと変貌を遂げることもあります。戦争が良い例です。戦時中日本人はすべて同じ考え、日本以外は敵。こうなってしまうのです。なんでそんな話になるんだ・・・と言う人もいるかもしれませんが、根っこは同じです。変人のたわごとでしたわーい(嬉しい顔)

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posted by Aregro at 10:31| Comment(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月23日

人生で起きる事

人生で起きる事、楽しいこともあれば、つらい事、悲しいこと、腹が立つこと、人間のあらゆる感情を体験させるがごとく、色々なことが起こります。

でも、これって「すべては良きことのために起こっている」ことなんです。・・・とおっしゃっているのは山川紘也さんという人。この人世間一般から見たらどう見たって超エリート。東大法学部在学中に司法試験に合格し、国家公務員上級試験に合格し、キャリア官僚に・・・でも、あるきっかけから精神世界のことや人間の魂のことやそんなことに目覚めてしまいます。それで、今までのキャリアを捨ててまでそういうことにのめり込んでゆきます。今はそういう類の本の翻訳と言う仕事をされていますが、そういうことを始めた頃は周りの友人、知人からはかなり嘲笑と罵倒の集中砲火を浴びたようです。

この山川さん曰く、魂だの、あの世だの、輪廻転生などというとすぐに「宗教」と思う人がほとんどだとおっしゃっていましたが、こういうことは宗教とはまったくの別物です。私も思っていますが、宗教とは偏狭です。宗教ではないのです。スピリチュアルというのが的を得ているのですが、いかんせんこの言葉を使ってマスコミなどに出ている偽者もいますからね・・・この辺は本当に難しい。

心理学ではなく「真理学」とでも言えば良いのかも知れませんが、もちろん学問ではありません。実践です。

人生で起きる事は「すべて良きことのために起こっている」「こう思うようになってから、どんどん良い方向に向かうようになった」と山川さんはおっしゃっています。どんなことも魂を成長させるための体験・・・最近管理人の私もそう思うようになりました。

人生で起きる事、あまり深刻にならずに受け入れましょう。人生は1回ではないのです。もちろん、Aさんという肉体をお借りしての人生は1回ですが、本質は永遠です。山川さんも、以前から紹介している「矢作直樹」さんも同じ事をおっしゃっています。

・・・人は死なない。

ちょっと話が転回してしまいますが、楽しくお気楽というのはけっして悪いことではないのです。人間深刻になったからといって、問題は解決しません。深刻と真剣は違います。もっとリラックスして生きてゆくのが人生のコツだと思います。ストレスをためて悩んでしまうと見えるものも見えなくなってしまいます。リラックスして楽しんで、真剣に・・・ちょっと矛盾しているようですが、人は死なないということが直感で理解できるようになれば、これもそう難しいことではないような気がします。




ラベル:生き方 人生
posted by Aregro at 00:12| Comment(0) | 精神世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする