2015年12月06日

自分の思いが自分の世界を作る

自分の周りを取り巻く世界、自分の人生、たいていの人は、どうして思いどおりにならないのだろう?嫌なことや嫌な人物ばかりに出会う・・・・そんなふうに思っていませんか?実はこれ、自分が作っていることなのです。自分のネガティブな思いはネガティブな状況を招き寄せます。だから、他人を批判したり、他人を恨んだり、他人を妬んだり、他人を貶めたり、そんなことをする人は自分もそういう人生に陥ります。

自分の思いが自分の人生を作るのです。だから、ただ単にいつも明るい気持ちでいるだけで、周囲も良くなります。極端な話しになりますが、イスラム過激派組織のISの人達、この人達は多分自分以外の人間は皆「敵」だと思っているのだと思います。自分たちの思いがあのような過激で陰惨なことを生み出していることに気づいていないのです。

確かに人間はポジティブなことよりネガティブなことのほうが考えやすいという性質を持っています。でも、この悪い習慣を変えることにより自分の周りの変わっていくことが確実にわかります。これは物理学の世界でも実証されているのです。ある本からの引用です。

・・・量子物理学によれば、物質は原子からできています。この原子は、原子よりさらに小さい素粒子が雲のように集まってできています。素粒子とは、実際にはエネルギーの波であり、その存在は粒子加速器内に残った痕跡から実証されるだけです。そして、一番興味深いことは、このエネルギーの波は、観測される時にだけ量子になる(その時、その場所だけに限定される出来事である)ということでしょう。
 言い換えれば、宇宙全体を構成するエネルギーの波は、観測される時にだけ量子として存在するということなのです。つまり私たちが物理的な世界と呼ぶものすべては、「見る人次第だ」ということを意味しているのです。
・・・引用ここまで

これはどういうことかと云うと、人間の意識がこの場で起きている事を作り上げているということなのです。自分の思いが自分の周りの世界を作っているということです。ですから人のために良いことをすれば、自分にも良いことが返ってきます。人の嫌がることや悪いことをすれば、これも自分に返ってきます。自分の思いが自分の人生や世界を作っている・・・ということを忘れないようにしましょう。
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ラベル:生き方
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2015年06月13日

人生の目的とは

ラムサ・・・という高次の魂が、地球上の普通の女性を介して、話したことをまとめた【ラムサ・・・真・聖なる予言】という本の中の人生の目的とはという箇所に書いてあったことです。とても素晴らしことが書かれていますが、そのまま抜粋しておきます。皆さんはどう思いますか・・・・

以下・・・・・抜粋

自分のあるがままを愛する時、不可能なこと、手の届かないことは何もなくなる。自分を本当に愛するとき、人は笑いの光の中だけに生き、喜びの道だけを歩むようになる。自分に恋するとき、その光、そのまとまった力、幸福、底抜けの明るさ、その楽しそうな状態が全人類へと拡がっていくのだ。そしてあなたの驚くべき存在の内面に愛があふれるとき、いろいろ不快なことがあるこの世界が美しくなり、生きることは意味を持ち、よろこびにあふれた状態になり、そのよろこびは、あなたという存在のよろこびを通じて、すべての生命を高揚させ、その栄光をたたえ、あなたの存在が純粋であることを謳いあげるのである。
 自己への愛のため、自己を満たすために生きること以上に偉大な人生の目的はない。それを成し遂げるためには、人生に飛び込み、自分に幸せをもたらすことをすることだ。それによってのみ可能になる。たとえそれが何であってもである。それは間違っているとか、あなたのために良くない・・・などと誰が言えるのか?神はそんなことは絶対に言わない。神はあなたが向かっていくあらゆる方向そのものであり、あなたのすべての体験がもたらす結果でもあるからだ。他の人間にど思うか訊ねたりもしてはならない。あなたの人生を悩ませてきたのと同じ制限をもっているというのに、他人がよろこびについて何を知っているというのだ。
 父なる存在は、あなたがよろこびあふれる人間になるよう迫っているようなものだ。あなたが心を開いてそれを受け容れるのを、いつもそばで待っている。「求めよ、さらば与えられん」というのは、そういう意味なのである。いつの時にもよろこびを持つというのは、実は単純なことなのだ。あなたはそれに値することを知って欲しい。
 よろこびはよろこびを生む。「迫られている」よろこびを受け容れるとき、それはこれから訪れるあなたの将来の日々のよろこびをさらに高め、あなたの心を開いてもっと多くを受け容れられるようにしてくれる。だからこそ、いつの時も自分を愛することが絶対に必要なことなのだ。それができれば、これから先の自分の「ペース」が決まるのである。何が自分を幸せにするかを自分に訊ね、それが何であっても、自分のフィーリングが告げるままに実行することだ。自己への愛、そしてそのよろこびのために生きるとき、その陶酔と高揚の瞬間はすべてあなたの存在の魂に記録される。そして今度は、それがこれから先、さらに多くの幸福とよろこびの瞬間をつくり出していくのである。

・・・・・以上、抜粋
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引用図書
【ラムサ---真・聖なる予言】
著者:ラムサ
訳者:川瀬 勝
発行者:角川春樹
発行所:株式会社 角川春樹事務所


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2015年04月14日

エゴに支配されている私たち

当サイトでも度々お名前の出ている山川紘矢さんの書かれた本の中にとても良い一説がありました。原文の引用で恐縮ですが、ご紹介しておきます。本当に山川さんのおっしゃるとおり人間ってエゴの塊りです。これがあらゆる争いの元でもあり、格差社会の原因でもあるのです。以下原文そのまま引用させていただきました。

・・・・・以下原文引用

「いつも人に勝ちたい」
「自分が正しい、あいつらは間違っている」
「あいつらはけしからん」
「戦争してお国のために命を捨てるのは名誉なことだ」
「自分だけ良ければいいのだ」と考えている人もいるでしょう。
「自分は今のままでは完全ではない」
「ありのままの自分なんて受け入れられない」
みんなある意味で自分が正しいと必死で頑張っているのです。しかし、本当の意味では自分が何をしているのかをよく知りません。攻撃的な人は被害者意識が強く、心に傷を持っていますが、そのことに自分では気が付いていません。自分には見えないのです。イライラしている人は、自分がどうしてイライラしているのかを知らないのです。いつもイライラしてきたので、それが普通の事だと思っているのです。
厳しい世界を生き抜いている人は、平和な心がどんなものか、忘れているのです。妻子を養っていくために本当に、毎日、精一杯にいきているのです。
エゴが見えていないときは、エゴがあなたを乗っ取っています。多くの人はエゴと自分が一体化しています。ある意味ではエゴのなすがままです。生きるために不正をしたり、人を騙したりしなければならないと信じ込んでいる人だっているかもしれません。

エゴはいつも物事を恐れから決めています。
よく自分を見てみましょう。

自分の中に恐れがありますか?
負けることは嫌いですか?
お金を失うことは怖いですか?
病気が怖いですか?

誰もが死にます。死ぬときは誰もが降参(サレンダー)しなければなりません。そうなっているからです。いくら怖がっても死ぬときは死ぬでしょう。でも、本当の意味では死はありません。苦しみがあるのはエゴで生きているからです。危険、不安、失敗、恐れ、悲しみ、恥、はみんなエゴが物事をそう解釈しているだけなのです。
・・・・・引用ここまで。

エゴに支配されているがために、人は誰かの優位に立ちたい、自分よりあいつは劣っている、なんであんな奴が俺より広い知識があるんだ・・・・あいつの弱みを握ったから、皆に知らしめて貶めてやろう・・・・こういう気持ちはすべてエゴのなす仕業です。エゴを失くすには自分の価値を認めましょう。どんなに劣っている人と思われている、また自分で思っている人でも、生きている意味はあるのです。世間一般でも経済的なことや結婚や家庭、社会的な地位などあらゆるものに勝ち組負け組などという優劣をマスコミなども平気で表現しています。自分の存在価値を見つけて、他人の利点も認めることができれば、皆平等に助け合って生きられると思うのですが・・・・・。
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2015年02月22日

死の恐怖とアンチエイジング

前の記事で引用させていただいた、筑波大学の村上和雄先生の書いてらっしゃること、同じ本からまた引用させていただきます。以下、青文字の部分が引用文です。

・・・今の日本人は、死をもっとも恐れている民族のひとつだそうです。京都大学大学院のカール・ベッカー教授(人間・環境学研究科)と対談したことがありますが、最近の日本人は死というものを見たくない、できるだけ避けて恐れるそうです。五、六〇年前日本人はそうではなく、あの世を信じて死を自然なものとして受け止めていたのに、現代の日本人は死を異常なまでに恐れていると言うのです。

死という問題を解決しなければ、人間は幸せになれません。魂が永遠の命みたいなものであり、肉体的な命はなくなるんだけれども魂はずっと続く。そう考えると、死がそれほど怖いものではないと理解でき、少し不自由だけれども肉体というものを伴って現世に滞在し、時期がくれば元いた場所に帰って行くという仕組みが腑に落ちます。すると死は、そもそも問題視されるものではないとわかります。だから、少しチクッと言わせていただくと、巷で人気のアンチエイジングは無駄なのです。エイジング、つまり加齢という自然法則には勝てません。アンチエイジングは、きわめて不自然です。なせ、アンチなのかが理解できません。むしろ「見事に死ぬ」「どう老いるか」を論じるほうが、健康的で自然です。・・・


まったく先生のおっしゃるとおりで、人間、100歳まで仮に生きたとしても、20代の肉体でいられるわけではないのです。物質である肉体は必ず朽ち果てます。それが自然の摂理だと思います。先日NHKの「キッチンが走る」と云う番組で、新潟県の豪雪地帯、十日町に訪れて地元の人とのふれあいの場面が写っていましたが、その中である農家のおばあちゃん、とても元気そうですが年齢を聞いてビックリ!91歳とのこと。肌もつやつやしていて、腰も曲がってはいません。頭もしっかりしていて会話も普通にできるし、食事も皆さんと同じものを食べていました。柔和な笑顔がとても可愛らしいおばあちゃんでしたが、こういうのは自然のままでとても素晴らしいことです。ここの取材をした家庭の皆さんご近所の皆さん、食事の前に手を合わせていましたが、自然と感謝の気持ちで生きているのだと思います。アンチエイジングなんてしなくたって、自然と向き合い感謝の気持ちで生きている人達は、とても素晴らしいなと思いました。
posted by Aregro at 12:05| Comment(0) | 生き方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする