2015年02月22日

死の恐怖とアンチエイジング

前の記事で引用させていただいた、筑波大学の村上和雄先生の書いてらっしゃること、同じ本からまた引用させていただきます。以下、青文字の部分が引用文です。

・・・今の日本人は、死をもっとも恐れている民族のひとつだそうです。京都大学大学院のカール・ベッカー教授(人間・環境学研究科)と対談したことがありますが、最近の日本人は死というものを見たくない、できるだけ避けて恐れるそうです。五、六〇年前日本人はそうではなく、あの世を信じて死を自然なものとして受け止めていたのに、現代の日本人は死を異常なまでに恐れていると言うのです。

死という問題を解決しなければ、人間は幸せになれません。魂が永遠の命みたいなものであり、肉体的な命はなくなるんだけれども魂はずっと続く。そう考えると、死がそれほど怖いものではないと理解でき、少し不自由だけれども肉体というものを伴って現世に滞在し、時期がくれば元いた場所に帰って行くという仕組みが腑に落ちます。すると死は、そもそも問題視されるものではないとわかります。だから、少しチクッと言わせていただくと、巷で人気のアンチエイジングは無駄なのです。エイジング、つまり加齢という自然法則には勝てません。アンチエイジングは、きわめて不自然です。なせ、アンチなのかが理解できません。むしろ「見事に死ぬ」「どう老いるか」を論じるほうが、健康的で自然です。・・・


まったく先生のおっしゃるとおりで、人間、100歳まで仮に生きたとしても、20代の肉体でいられるわけではないのです。物質である肉体は必ず朽ち果てます。それが自然の摂理だと思います。先日NHKの「キッチンが走る」と云う番組で、新潟県の豪雪地帯、十日町に訪れて地元の人とのふれあいの場面が写っていましたが、その中である農家のおばあちゃん、とても元気そうですが年齢を聞いてビックリ!91歳とのこと。肌もつやつやしていて、腰も曲がってはいません。頭もしっかりしていて会話も普通にできるし、食事も皆さんと同じものを食べていました。柔和な笑顔がとても可愛らしいおばあちゃんでしたが、こういうのは自然のままでとても素晴らしいことです。ここの取材をした家庭の皆さんご近所の皆さん、食事の前に手を合わせていましたが、自然と感謝の気持ちで生きているのだと思います。アンチエイジングなんてしなくたって、自然と向き合い感謝の気持ちで生きている人達は、とても素晴らしいなと思いました。


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2015年02月11日

私達の体はレンタル品

私達の体はレンタル品・・・・この言葉を言ったのは私ではありません。筑波大学の教授で高血圧の原因となる酵素「レニン」の遺伝子の解明をして世界的な注目を集めた村上和雄先生の言葉です。これ、なんだろう?って思う人も多いかもしれませんが、先生があの東大教授の矢作先生と対談した本の中の一文をほぼ全文引用させていただきました。

以下、引用です。

【・・・私が魂の存在に惹かれるのは、身体の想像を絶する入れ替わりのしくみを知り、考察したからです。細胞は毎日、ものすごい勢いで入れ替わっています。では、それらの細胞はどこから来ているのか?
その組成や発生の順番をひも解くと、細胞は私たちの毎日食べる食事から成り立つことがわかります。食物からさまざまな細胞ができるわけです。地球の無機物を植物が摂取し、それを動物が摂取し、さらに人間が摂取しています。つまり私たちが身体に持っている元素は、すべて地球の元素です。では、地球の元素はどこから来ているのかと言えば、もちろん宇宙から来ています。
 自分の体は自分のものだと思っているかもしれませんが、実は私たちの体はすべて借り物、要するに”レンタル”なのです。レンタルですので、期限が来れば返さねばなりません。これが「死ぬ」ということなのです。貸主は地球、宇宙、そして神です。・・・中略・・・それでは借主は誰でしょうか?
あなた?あなたというのを仮にあなたの体(肉体)と表現すると、体は60兆個の細胞でできており、それらは1年くらいでほとんど全部入れ替わりますから、そういう主体性のない存在に借りる権利はありません。
 では、心?そう思うかもしれませんが、そうではない。なせなら、心はしょっちゅう変わります。細胞と同じです。入れ替わるというか、心はその時の状況や感情でどんどん変化します。昨日の考え方は、今日にはありません。こんな不安定なものに体を貸せるわけがありません。
 すると、残っているのは魂しかありません。「三つ子の魂百までも」と言いますが、「三つ子の心百までも」とは言いません。心も体も日々、入れ替わっているからでうす。
 心は確かに私の一部ではありますが、毎日変わります。死ぬと、くやしい、さびしい、嬉しいといった心はなくなりますが、魂はなくなりません。こう言うと、死後世界の問題は医学や遺伝学とは何の関係もない、見当はずれだからよそでやれ、そもそも宗教学で議論せよとなるわけですが、よく考えてみてください。人間は心だけで動いているわけではないのです。
 潜在意識という、自分の意志(顕在意識)ではどうしようもないようなもので動いている時もあります。そういう状況を考えると、魂こそが本当の自分であり、それに対して神が体を貸しているというのが、私の中では正解です。】


魂の存在、人間の肉体は借り物・・・ということについて、納得の一文ですね。今は本当にこういう科学の世界の人達が魂の存在や、アナザーワールドの存在について、確信的な考えを述べてくれています。たくさんの人達がこのような人間の根源的な真理ともいえることを認識すれば、生きることも死ぬこともずっと楽になると思うのですが、いかがでしょうか・・・・・。
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2014年12月14日

生と生のはざま

生と生のはざま・・・生と死のはざま、という言葉は聞いたことがあるかもしれませんが、ちょっと聞きなれない言葉かなと思います。「なまとなまのはざま」とは読まないでくださいねわーい(嬉しい顔)と冗談はさておき、これは現在生きているこの物質世界から肉体が死んで、また、またこの不自由な肉体へ転生するまでの間、いわゆるあの世のことなのです。「輪廻転生なんかありえない、人生1回きり、死んだら無だよ」と、こう思っている人はこれから先書くことは読まないでください。

いつも言っていますが、こういう話をするとすぐ宗教だ、新興宗教だ、という人がいますが、宗教ではありません。宗教は人が作ったものです。また宗教は自分たちの主義主張に反するものは排斥しようとします。宗教戦争がなくならないのもそのためです。これも人間が勝手に自分たちの都合の良いようにアバター達の教えを歪曲してしまったからなのです。キリスト教にしてもしかりです。まずいろいろな流派があると言う事が不自然ですよね。イエスは神ではなく、もちろん非常に進化した魂であったことは間違いありませんが、イエス・キリストを全能の神の子に仕立て上げ、都合の良い部分だけ自分たちの教義にしてしまったのも人間です。

 ちょっと前置きが長くなりましたが、このイエスも人間が死ぬとまたこの世に転生しなければならないと言っていました。但し、これもイエスの死後歪曲されて、キリスト教では死んだら天国か地獄へ行くしか選択の道はないとなりました。そうではないのです。肉体が死ぬと魂は中間生(バルド)というアナザーワールドへ行きここで次の転生への準備をします。もちろん、ここは休息の場所でもあります。ただ、ここでは前回の生で果たせなかったことや、自分を成長させるために今度はどんな境遇に生まれるかなど、指導者ともいえる進んだ人達(霊)からアドバイスをを受けます。ただ、強制はされないようで、最後はやはり自分で決めます。この辺のことは医学博士で哲学博士でもある「ジョエル・L・ホイットン」という人の研究を紹介した本に詳しく書かれています。但し、進化の初期の魂は中間生でも眠ったような状態ですぐに未進化な肉体に転生してしまうようです。しかし、少しでも自分の人生について疑問や迷いを感じた人はなんらかの課題を持ってこの世に生まれてきているのだと思います。

私達のおかれた境遇は決して偶然のなせるわざによって決められたことではないのです。私たちはこの中間生で選択したことを体現しているわけで、今置かれている境遇は誰のせいでもないのです。自らの魂の向上のために自ら選んだ生(ストーリー)なわけなので、そこから何かを学びとらなければならないと思うのです。自殺という行為はこの宿題を放棄してしまうことですから、肉体が滅んでももっとつらい思いをしなければならなくなります。自ら選んだ生なのですから、受け入れて寿命がつきるまで、ポジティブに生きてゆくのが大切だと思います。与えられた寿命をまっとうすれば、再び光り輝くアナザーワールドへ帰ることができます。死は少しも怖いことではないのです。また、今生でも一人きりになったとしても、目には見えないかも知れませんが、見守ってくれている人たち(肉体は無いので普通の人には見えませんが)がたくさんいます。決して一人きりではないということを思い出してください。死は忌まわしいこと・・・と思われていますが、自殺以外の死はむしろ喜ぶべきことなのではないかと思います。

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2014年08月26日

盲導犬を刺すというニュースを見て

目の不自由な人の目となっている盲導犬。皆よく訓練されていて実にすばらしいと思います。こんなに人のためになっている犬を刃物で刺す人物がいるとは・・・・こういう出来事を知るたびに愕然としますね。こういうことをする人の感情とはどうなっているんだろうか?・・・・と。悪魔に精神を乗っ取られているのではないかと思ってしまいます。盲導犬はこういうことをされても、抵抗しないように訓練されています。ニュースにも書いてありましたが、

「見えない、抵抗しない」に付けこむなんて人間としての最低の行為だと思います。自分より弱いもの、抵抗しないものに対して虐待やいじめということをすると快感があるんでしょうかね。学校や職場でのいじめ、幼児虐待など弱いものいじめという行為をする人間もなんらかのプレッシャーや不満を抱えている人間です。しかも自分が弱いことを自覚しているので、自分より弱いものに矛先が向くのです。今、生きていることが楽しくて楽しくて幸せいっぱい・・・・という人は絶対にこんな卑劣なことはしません。

話しを盲導犬の話に戻しますが、ニュースを見るとここまでしないまでも、こういう盲導犬などに対して批判的な目を向ける人も多いとか。ニュースにあった文章をそのまま引用させてもらいます。

国産盲導犬第1号が歩み始めてから57年経った今も、世間一般の理解は十分とは言えない状況だ。歩行中の嫌がらせ行為や育成団体へのストーカー的な苦情電話が後を絶たない。一部の使用者や育成団体関係者の口からは、「近年、逆に誤解や色眼鏡で視覚障害者と盲導犬を見る人が増えている」という言葉も出るほどだ。


こういう人達がいるなんて・・・このニュースを見るまでは知りませんでした。どうして人間にはここまで未熟でエゴの塊のような人間がいるのか・・・自分がこのような不自由な立場になって見たことを考えてみてください。五体満足の自分が良ければ他はどうでもいい、盲導犬など邪魔・・・こんな風に考えているんでしょうか?これらはすべて人間のエゴですね。盲導犬、公共交通機関に乗っているところに時々遭遇することがあります。人の邪魔にならないようにできるだけ隅に座って目の不自由な人のサポートをしています。あの健気な姿を見たら、応援のエールを送りたくなるのが普通の人の感情だと思います。

盲導犬やいろいろな障害を持った人を排斥しようとする人は普通ではなく、人間としてものすごく低級な人たちと言わざるを得ませんね。まあ、こういう人たちはいずれどこかで自分がつらい目に遭います。これはこの宇宙の摂理です。こうして人間の魂は成長していくのですが、未熟な魂もたくさんいるというのがこの地上世界なんですね。この広い宇宙のなかでは地球上の人類というのはまだまだかなり低レベルなようです。なので争いや戦争などもなくなりません。でも、少しでも良い意識の人たちが増えて行けば、段々と地球全体も進化していくのだと思います。個人の力は微力ですが良い意識を持つ人が増えれば、少しづつでも良くなっていくと思います。頑張りましょう。

よく、世の中が悪くなる、世の中が良くなると言いますが、これは人が悪くなったり良くなったりすることによって、世の中が変わるのです。世の中が悪いから云々ということを言いますが、世の中を悪くしているのは人間です。

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ラベル:盲導犬 いじめ
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2014年06月15日

サッカーワールドカップに思う

サッカーのワールドカップが始まり、今やどこへ行ってもサッカーの話。ツイッターなどでもサッカーを楽しんでいるつぶやきがすごく多いですよね。もちろんこれはこれで楽しい話なので良いと思いますが、マスコミなどもサッカー一色。テレビなどもどこのチャンネルを見てもサッカーの話題が・・・・

好きなことを楽しむことは大いに結構だと思います。でも、ちょっと疑問に思うことがあるんです。日本人って農耕民族の遺伝子が浸透しているのか、人と同じことをしない人はなんとなく排斥される・・・という悪い傾向があるような気がします。それで昔は「村八分」などという悪弊も起きたわけですが、もちろんサッカーはあまり興味が湧きませんと言ったからといって、村八分になるようなことはないと思いますが(笑)先日テレビを見ていたら街頭インタビューで老年に近い女性に、「サッカーワールドカップが始まりますが、サッカー観戦とかされますか?」との質問。その女性は「サッカーはよくわからないけど、日本チームの応援はしたいと思います」・・・・う〜ん、と考えてしまいました。

日本チームが出ているから応援する、否、応援すると言わないといけない・・・こんな図式ではないかなと思いました。サッカーなども趣味の世界、ある意味娯楽の世界ですよね。別に興味がなかったら応援などする必要はないのです。でも、皆が応援しているから私も応援しなくちゃ、・・・本当のところは皆が応援しているので、自分も応援すると言わないと変わった人だと思われる。

これですこれ、これは日本だけではないことかもしれませんが、常にマイノリティー(少数派)というのは立場が弱いです。今は小学生あたりでも、サッカー好きじゃないなどと言うといじめの対象になったりするのかもしれません。もちろんサッカーに限らずすべてのことに当てはまるのではないかと思います。

私も正直言って、サッカーはほとんど興味ありません。もっと楽しいこと、自分でやりたいことがたくさんあって、そちらに時間を割きたいです。またへそ曲がりなことを書いてしまいましたが、本音です。ちょっと大げさかもしれませんが、こういう皆と同じじゃないとダメという感覚が全体主義へと変貌を遂げることもあります。戦争が良い例です。戦時中日本人はすべて同じ考え、日本以外は敵。こうなってしまうのです。なんでそんな話になるんだ・・・と言う人もいるかもしれませんが、根っこは同じです。変人のたわごとでしたわーい(嬉しい顔)

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posted by Aregro at 10:31| Comment(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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